地球環境から見たラオスの木材

1.ラオスの概要

  ラオス人民民主共和国( Lao People's Democratic Republic)
人口  447万人(68部族よりなる)
  面積  23.7Ku(本州とほぼ同面積)
首都 ビエンチャン
気候 熱帯モンスーンに属し 気温は一年中高い(平均気温28度)
通過 キップ ($1=125.45円=961キップ 1円=7.66キップ 97.03.27時点)
         (98.05現在 1円=17キップになっています)
国民総生産 一人当たり 約$350 世界最貧国の一つ
 だが貧困な感じはない(メコン川と森)


ラオス人 タイ人のルーツは 中国南部の雲南。元のフビライ時代の侵略により大量の民が南下。1353年タイ族のファーグムがルアンプラバンにランサン王国をつくる。約240年続いた王国も1694年ウオンサオウ王没後の後継者争いでルアンプラバン ビエンチャン チャンパスクの3国に分裂。 国力の低下によりタイ・ベトナムの脅威のもとにさらされる事になる。 19世紀のフランスの進行で、その保護下に入り1899年フランス領インドシナに編入される。
フランスは 分裂していた王国を1国に統合し 今の国名となるラオスと呼ぶ。第2次大戦末期 日本軍によりラオスが成立。戦後はラオイッサラ(自由ラオス)が臨時政府をビエンチャンに樹立するも46年フランス軍が復帰。49年ラオス王国はフランス同盟国として独立。4年後の53年10月に完全独立を達成。 独立はしたものの その後ベトナム、フランス、アメリカが中心となるインドシナ紛争に巻き込まれ内戦状態が続く。不穏な状況は共産党のパテトラオが国を掌握した1975年に終了。それ以降10年以上に わたる鎖国政策をとるのであるが最近 経済の自由化、非共産国との関係改善に動き出し 何年にも及んだ閉塞の時代は終ろうとしている。
ラオスの自由化はベトナムのドイモイより早く実施されたが無制限な自由化ではなくラオス方式とでも言うゆっくりとした無理のない自由化を進めている。

2.日本人とラオスの木

日本はここ30年、お金に飽かせて世界中の木を買いあさり「木喰い虫」という ありがたくない名前を頂戴し、海外からの非難を集めてきた。本来 日本人は、近辺にある野山の雑木にも その木ならではの長所や味わいを見出し、適材適所に無駄なく うまく木を使ってきていた。
ところが 木を経済性でしか捕らえなくなると、商売として都合がいいという事ばかりを優先させ、商品として金になる 木のいいところ、ロース部分のみを輸入し、他の部分の処置には気を配らなくなってしまった。

今 ここにきて地球環境規模で自然保護が捉えられている時にあって、今までのように海外でもなかなか木が伐れない状況にある。森林資源の豊かなラオスに於いても焼畑,家畜の放牧,商業伐採,ダム建設等により1982年から1989年のわずか7年間で 東京都と神奈川県を併せた面積以上の森林が失われた。かつて70%あった森林面積は47%までに減少し,国庫を支えてきた木材資源の国から 隣国に電気を売る 売電立国になろうとダム建設に力をいれている。現在 大規模な開発だけでも三ヶ所,その他に政府と企業が覚書をむすんだ計画は23ヶ所に及ぶ。 計画中最大のナム・トゥン第二ダム(68万KW)では約900世帯4000人もの人が家を追われ,150万m3もの原木が伐採されるため、 世界銀行はその援助に難色を示しているのが現状.。 しかも、 ラオスにおける電力の普及は全人口の25%、 ダムは近くても電気のない農村がいくつもあり, そんな状況下での限りある木材資源の使い方を,我々も考えていかねばならない。



3. 木の伐採と製材
 
ラオスの伐採地
  
伐採地に至る道路はスクレーパーでならせば少しは良くなる というような道でなく、デコボコだらけで時速10KMも出せない。伐採地の手前に簡単なテント張りや 小径木で小屋を作り、そこで仮暮らしながらの伐採生活。 環境はマラリヤ蚊もいるといる劣悪なもの。こんな中で伐採された木だから、一片たりとも無駄な使い方をしてはいけないと思う。作業員の給与は1ケ月 約 \5、000円位は良い方です

・ダム工事現場近くでの製材所
  
道路事情も悪いので重い原木を里まで運ぶよりも、伐採地近くに仮設の製材所 を作り,そこで製材した製品を里に運んだほうが経済的であると、レールを引きその上に製材機(自家発電)をのせ,丸太を固定してノコギリを動かす製材法である。便利ではあるが 精度はでない(日本人的発想 )。 大怪木の原木も小さな板に。廃材は焼却

・伐採地での製材(木挽)
  
伐採した木をその場で(キャンプ生活をしながら)運搬しやすい形に人手で挽く合理的な方法。チーンソーでひけば一日も掛からない作業なのだが、人間こういう作業をする事で,根気や忍耐が養われていくのかと思う作業であった。

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